忠孝苑日誌

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こがね講理事会

師走です。今年も残り一か月となりました。

神社でも新年を迎える準備がちゃくちゃくと進んでいますが、なんといっても「黄金神社のこがね講」は正月の一大行事となります。

12月2日、こがね講の理事会を開催し、講員申込みについて話し合いました。


第64回目となる今回のこがね講は、来年1月11日(月)に開催します。

お祭りのようすはこちら
2013/01/15
こがね講祭
1月11日に、飛騨護國神社敷地内にある金守山黄金(おうごん)神社に於いてこがね講祭が行われました。黄金神社は金森家の財政を支えた金山奉行 宮島平左衛門と茂住宗貞が祀られていて、江戸時代から鉱山の神、金の神として広く崇敬されてきました。「金守山」(かなもりさん)という山号はいつ頃つけられたかわ…




祭典後の大抽選会では
//img01.hida-ch.com/usr/f/i/d/fidagokoku/DCIM0105.JPG
大当たり 大黒天(一位一刀彫)

//img01.hida-ch.com/usr/f/i/d/fidagokoku/DCIM0104.JPG
福当たり うちでのこづち(一位一刀彫)

これは申込者全員を対象に抽選します。(当日欠席でも当たります)


そして、参列した人を対象に抽選するのがこれ。
//img01.hida-ch.com/usr/f/i/d/fidagokoku/DCIM0363.JPG
純金守(純金1gのカード型お守り)

申込みは、1500円の講金を添えて飛騨護国神社社務所にお申し出ください。
0577-32-0274

申込者の高齢化で、これからはインターネットなどで広報活動をしていこうという話し合いとなりました。

  

「READYFOR OF THE YEAR」特別賞を頂きました

飛騨護國神社が協力している団体「OBON2015」が「READYFOR OF THE YEAR」の特別賞を受賞しました!!

これは、クラウドファンディングを行うサイト「READYFOR」の企画なのですが、主催者側によると、「2014年9月から2015年8月までに目標金額に達成した710プロジェクトを授賞対象とし、そこから1件の大賞、3件の優秀賞、および20件の部門賞を選びました」ということです。

https://readyfor.jp/readyforoftheyear2015
70年の時を経た奇跡の再会「寄せ書き日の丸」を故郷へ!

実行者:OBON 2015 レックス&敬子 ジーク
授賞理由:「寄せ書き日の丸」という、出征する兵士へ、武運長久を祈り、愛する一人一人が心を込めて直筆で署名やメッセージを書き込み、託した日章旗を、遺族の元へ返還するプロジェクト。「当時、戦利品として持ち帰った日章旗を、日本の遺族の元に返還したい」と申し出てくれた方々の協力によって実現したことからも分かるように、終戦から70年が経過し、国境を越えた和解と友好、そして平和に向け、さらに一歩、前進したことが伺える点が評価された。


OBON2015は、戦利品として日本兵の遺体から持ち去った寄せ書きのある日の丸を遺族に返還しようという運動をしています。
8月には元米兵6人とともに首相官邸に行き、安倍総理大臣に日章旗を直接手渡してきました。http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201508/04obon2015.html

飛騨護國神社はOBON2015のメンバーとして、靖国神社や全国の護国神社に協力を依頼して持ち主(御祭神)の調査と遺族捜索・返還式手配のお手伝いをしています。

  

終戦70年大祭



毎年8月14日15日はみたま祭りを行っていますが、

今年は終戦70年にあたるので「終戦70年臨時大祭」として斎行しました。

天皇皇后両陛下より御下賜された「幣帛料」をご神前にお供えいたしました。

両陛下からの幣帛料ご奉納は、昭和35年から始まり昭和40年からは10年毎。今回で7回目となります。


昭和35年の祭典の様子は当神社サイトでも紹介していますが、自衛隊の音楽隊に奉仕をしてもらっています。

70年目の今回は西高校のウィンドアンサンブル部に祭典奉仕をいただきました。

玉串拝礼中の曲は「国の鎮め」です。

  

ブログ再開します。

2年間更新していませんでした。大変申し訳ありません。
ID・パスワード、また登録したメールアドレスも忘れてしまうという大失態をしていました。

ようやく復活しましたので、よろしくお願いいたします。

なお、飛騨護国神社公式サイトも公開していますので、こっちのほうもお付き合い下さい。
  

こがね講祭

1月11日に、飛騨護國神社敷地内にある金守山黄金(おうごん)神社に於いてこがね講祭が行われました。




黄金神社は金森家の財政を支えた金山奉行 宮島平左衛門と茂住宗貞が祀られていて、江戸時代から鉱山の神、金の神として広く崇敬されてきました。
「金守山」(かなもりさん)という山号はいつ頃つけられたかわかりませんが、金森さんとの「しゃれ」をきかせたものとなっています。
これは、金森長近公の弟といわれる安楽斎策伝という人が落語の祖とされていて、後世の人がそれにあやかってつけたものと思われます。

こがね講は、商売繁盛や金運向上を願って、毎年1月11日に祭典を行なっています。

今年も事前に申し込みをされた約500人中、約100人の講員の方々がお参りになりました。
(申し込みは毎年12月中旬~1月5日まで受付をしています)


祭典後は飛騨の伝統工芸「一位一刀彫」の大黒様や打出の小槌などが当たる抽選会が行われ、
寒い中でしたが、会場となった神社拝殿内は大変な熱気に包まれました。




そして、合わせてこちらもご紹介します。




古来、蛇は金運の神様としてご利益があるとされています。
黄金神社には両頭のへびが棲む。という伝承がありましたが
これは、大正時代に拝殿屋根のすきまから発見された抜け殻です。
ふつう、両頭というとYの形をさしますが、
頭部分が両端にある非常に珍しい白蛇の抜け殻となっています。


こちらの抜け殻は、今年の干支にちなんでこがね講祭に合わせて数十年ぶりに公開しました。


お金が好きな方は、ぜひ黄金神社へお参りください!
  

坂の上の雲




おもしろいもの発見です。明治38年9月20日撮影、日露戦争の満州軍総司令部の集合写真です。

見にくいかもしれないけど、前列右から落合軍医監・松川作戦参謀長・永田砲兵団長・秋山騎兵旅団長・飯田第一師団長・大迫第七師団長・大山元帥・乃木司令官・土屋第十一師団長・渡辺、牟田少将・吉田主計監・一戸参謀長だそうで、坂の上の雲のメンバーが勢ぞろいです。

飛騨が所属した35連隊は一戸兵衛旅団長のもと、乃木第3軍に参加。旅順、奉天で壊滅的になりながらも戦勝へと導きました。
この功績によって明治42年飛騨に護国ができました。飛騨招魂社の社号碑は、この一戸大将の揮毫です。


写真は今日、額に入れて社務所に展示しました。
  

毎年恒例

毎年正月五日には、高山市消防団による出初式が行われています。
その後、ここ飛騨護国神社にて、消防団の一年の無事の活動を祈願しての
ご祈祷も毎年執り行われています。

そして、六日には浴場組合のみなさんもまた、一年の無事と商売繁盛を
祈願しにお参りに来られました。

年々銭湯の数が減ってきてはいますが、なくなってしまうといざという時の
私たちの生活に影響がある存在だと思います。


消防団のみなさん、浴場組合のみなさん、今年もお参りいただきありがとうございました。
一年のご無事をお祈りしております。


  

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
冷え込みますが、雪の少ない、ありがたい元旦となりました。
寒い中、多くの方に初詣においでいただいております。

本日午前十時からは、元旦祭
二日午後二時から、匠神社例大祭
三日午前十時から、元始祭が行われます。

どうぞ、今年も飛騨護國神社をよろしくお願いいたします。

  

十一月半ばと思えないほどの降雪ですね。

今朝は落ち葉掃きではなく、早くもスコップを手に
初の雪かきとなりました。



予想外の積雪で、大半の方はノーマルタイヤだと思います。(うちもそうです・・)
ですが、この辺りは車が生活必需品ですから、使わないわけにはいかないですね。

車の運転は充分にお気をつけていただきたいと思います。

それにしても、いつになったら降り止むのでしょう・・・  

秋季例大祭

いよいよ祭りの時期がやってきました。

ここ、飛騨護國神社も本日午後7時より試楽祭(宵祭)が、
明日午後1時半より秋季例大祭(本祭)が行われます。

たくさんの方のお参りをお待ちしております。



  

見頃です

25日までの宝物展には、多くの方に足を運んでいただくことができました!
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
今回おいでになれなかった皆様、天井絵はいつでもご覧になれますので
いつでもお越しいただきたいと思います。

さて、この間からの朝の冷え込みの影響で、神社境内の紅葉と銀杏の葉も
色づき始めました。








実際に見ていただいたほうがより綺麗ですので、参拝の折にはご覧になってくださいね。  

宝物展開催中です!

飛騨大神宮(護國神社敷地内)では、今日から宝物展と
伊勢神宮式年遷宮の写真展を開催十月二十五日までしています。

時間は、九時~五時まで。
宝物は初公開です。
次回の公開は20年後の御遷宮を予定してます。

興味のある方もない方もぜひ一度足を運んでみてください!
  

奉賛会理事会

本日、飛騨護国神社奉賛会の理事会が開催されました。
当奉賛会は本年4月1日より「社団法人」から「一般社団法人」に移行いたしました。
「一般社団法人飛騨護国神社奉賛会」として第一回の理事会ということになります。

会長の國島高山市長さんを初め、副会長の高山市町内会連絡協議会前越会長さんにご臨席をいただき、各地区の理事さん出席のもと会議を行いました。
組織が大きく変わりますので、初回にいろいろと話しあうべき議題が多かったのですが無事に終了致しました。

来月は社員総会(社団法人は法的に「社員総会」と言うんだそうです)があります。
この総会後に町内会や区を通じ、会員の皆様方にご奉賛の依頼をお出しいたします。
当奉賛会の会員数は目減りの状態ではありますが、何卒ご理解を賜りたいと存じます。


ここに奉賛会設立時(昭和34年)の趣意書をご紹介させて頂きます。



終戦茲に十有余年を経て再びこの事態を避けようとするは全国民の願望であり
平和国家の建設に努力されつつあることは洵に喜ばしい次第であります。

大戦当時を省るに全国民何れも戦争の罪悪を充分知りつつも国際情勢と国政の命ずる処により家を捨て骨肉と別離し、心の苦悩を秘めて遠く各地に転戦苦闘の末、
不幸殉死の悲運に遭遇せられ、吾々の身代わりとして犠牲となられた方に対し
私達はこれに報ゆることを心より考える必要があるものと存じます。

遺族の中には老いたる父母、幼児を抱く未亡人等幾多戦後の激しい生活線上で辛労にあえいでいる人や又生活上の心配のない人でも精神的の面で悩む人等全く察するに余りあるものがあります。
此処に於て吾々には故人生前の徳を称え、英霊を慰めることは生き残った私共の当然の義務で御座います。

現在、伊勢神宮を始め靖国神社の護持については広く国民大衆の與論が昂まり、
国家の責任に於て運営されんとしている一方、各地方の護国神社も県単位の奉賛会が組織され、県知事自ら陣頭に立って神社を護持せられつつありますが、当岐阜県は他府県に比して非常に遅れている状態でありますが、幸に先般新任されました松野新知事は特に此の方面に御理解と関心を持たれているので遠からず活発なる推進を見ることと確信し、期待している処であります。
当飛騨地区に於いても各方面より奉賛会設立についての要望もあるので之に応えてその発起をさせて頂くこととなりました。

御承知の如く吾が飛騨護國神社は六千に及ぶ英霊を奉斎し、全国五十一社中の権威と責任を持つ神社だけに
維持経営に相当苦心を要する処で、僅かに春秋二回の例大祭に際し奉賛袋を地区内に廻して奉賛を願っておられますが
確固たる後援の主体がなく常にその収入予算が不安定であるので、今般本会の設立を企図致した次第でありますから
何卒右御諒承賜りまして何彼と御多端の折柄甚だ恐縮ですが絶大なる御奉賛の程を特に御願い申上げます。

昭和34年10月吉日

発起者(イロハ順)
岩本晋一郎 伊藤松太郎 岩畠正衛 岩島隆玄 押手栄次郎 脇本由之助 竪野一兄 加藤専一 加藤吉助
川上勝太郎 柿本伝助 角島源太郎 米渓三二 高原喜義 高田弥一郎 武田文三 都竹岩右衛門 中谷鶴次郎 中丸新吉 直井修三 永田尚 上田峰造 上木末吉 宇野栄太郎 野畑忠太郎 大倉実 岡田泰市 黒木重太郎 日下部礼一 久保田完三 山腰正一郎 前田義雄 松山吉一 松久千秋 小丸市兵衛 小林幹 小坂吉造 小坂利三 五反田繁太郎 青山源吾 溝添与三郎 溝際一男 宮本増造 宮田五郎 南恒三 三島栄一 水小瀬鉄郎 水口関郎 白川政之助 平田誠二 杉山久次郎 住敏三 菅田歳雄



発起人の溝際一男さんは先日お亡くなりになり、本日が告別式でございました。
杉山久次郎さんは代々襲名しておりこの時は御先代だということなので、96歳の氏のご逝去をもって、発起人全員が鬼籍に入ることとなりました。
理事会のため告別式には参列かないませんでしたが、野辺送りと同時刻に移行後初の理事会が行われたという御縁に特別な思いを感じるところです。

ご冥福をご祈念申し上げると共に、当奉賛会の行く末を見守り導いていただきたいと存じます。

  

海交会慰霊祭

5月27日は「海軍記念日」です。
明治38年のこの日、日本海海戦が行われ、世界最強とも言われたロシア帝国バルチック艦隊を壊滅させました。
飛騨は山奥で海のない国ですが、意外と海軍さんが多く海軍戦友会の方々は「高山市・大野郡海交会」という団体を組織して、毎年海軍記念日の日に慰霊祭を行なっています。


元々は城山の中佐平、広瀬中佐の胸像前で慰霊祭を行なっていましたが、会員の高齢化のため10年前から神社拝殿に祭場を移しています。以前は50名ほどの参列があったそうですが、近年は5~6名でお祭りがされています。
多くの戦友会は解散してしまいましたが、「最後の一兵になっても先輩方の祭りは続ける」という心意気は、さすがは帝国軍人、海軍魂と言えるのではないでしょうか。




右側の旭日旗は、戦争中実際に駆逐艦に掲げられていた軍艦旗なんだそうです。



ちなみに、中佐平にある広瀬中佐の胸像は2代目の銅像です。
夜遅くなったので銅像の写真を撮りに行けず、アップできませんでした・・・

初代は昭和18年に金属不足のため供出されてしまいましたが、この時は「軍神2度目の出征」として、タスキを掛けられ人間同様に見送られたと言われています。
戦後、2代目の現在の銅像が作られましたが、この復興に尽力した方々こそ「海交会」のみなさんだったのです。

軍神広瀬武夫海軍中佐のことについては、戦中までは教科書に載るほどの有名人だったのですが、戦後はほとんど知られなくなってしまいました。最近はNHKの「坂の上の雲」をきっかけに見直される傾向にありますので、詳しく解説してあるサイトも多いです。検索してみてください。


また、陸軍記念日は3月10日。これは同じ日露戦争で、奉天の会戦に勝利した日です。
この海軍記念日、陸軍記念日もまた戦後ほとんど知られなくなってしまいました。
今日の海軍慰霊祭を通じてご紹介をさせていただきます。

  

カルガモ親子

数日前から神社の堀にカルガモのヒナが泳いでいます。
毎年この時期に堀でヒナが生まれ、成長すると川へお引越ししていきます。










 ↑ は今朝撮った写真ですが、
午後なんだか人が集まってるな・・・と思ったら、TVカメラが撮影をしていました。
隣の保育園児と共に、今日の夕方に放送してくれるようです。


  

闘鶏楽のこと

闘鶏楽は「とうけいらく」と読みます。
最近では「闘鶏楽」が一般的になっていますが、古い書物には「斗鶏楽」「鳥毛」「鳥芸」という表記もあります。
地域によっては「かんかこ」「けいとうらく」(鶏闘楽?)と呼ぶところもありますが、
どこの神社でも、鉦を打ち鳴らして祭り行列に供奉する。また、鳳凰や鶏など鳥文様の衣装を身にまとう点で共通しています。


昨年の桜山八幡宮大祭では多くの神社が渡御を行い、いろいろな神社の闘鶏楽が奉納されました。
ちょうど映像がアップされているので見比べてみてください。

護國神社として供奉した富士神社闘鶏楽
(この時は全員が歴代の鉦大将=リーダーというメンバーで奉仕頂きました)


同じく富士神社(同じ神社でも大人と子供でイメージも変わります)
が、これだけ埋め込みができないので直リンクしてみてください。


大八賀神社


日枝神社


飛騨天満宮




祭りのお囃子として、笛や太鼓に合わせて鉦を打つということは全国的に見られることなのですが、
鉦だけが独立しさまざまな曲目や振付が付けられて、ひとつの神事芸能にまで発展している点では珍しい伝統芸能だと言えると思います。


闘鶏楽の発祥は詳しいことは分かっていませんが、平家の落人が伝えたとも、鎌倉時代初期に荒城郷(現飛騨市)を所領した多好方(おおのよしかた)が伝えたとも言われています。
―鶴岡八幡宮創立の際に源頼朝に召された雅楽を家業とする公家、多好方は秘曲を伝授した褒美として飛騨國荒城郷の地頭職に任ぜられました―
現在も多家は宮内庁楽部の楽師として宮中にお仕えし、また上記の縁から飛騨市の雅楽会に直接ご指導をされています。



では、どうして鉦と鶏がつながるのでしょう?

鉦を打つ音「かんかこ」が鶏の鳴き声「コケコケ」に似ているから闘鶏楽と言うんだろう。
私は長い間そう思っていました。


天照大神さまが岩戸隠れをされた時に、夜明けを告げる鳥として鶏を岩戸の前で鳴かせています。
伊勢神宮では式年遷宮の御遷座祭出御の時に「カケコーカケコーカケコー」と声をかける「鶏鳴三声」という有名な行事が行われます。
神道で「鶏の声」というのは重要な意味を持つのです。

でもそれでは、全国に存在する鉦の芸能がすべて鶏に関連付けられてもいいはず・・・
鉦と鶏がつながるのはどうも飛騨の闘鶏楽だけのようです。



しかし、よくよく調べていくと・・・・

本来、鳥毛(とりげ)というのはこういうものです。 ↓





竿の先に取り付けて、大名行列などの先頭を行きました。
現在も神社の祭礼に用いているところが多くあります。
熊本県神道青年会のサイトには「鳥毛行列」の写真が掲載されています。
下は土佐の秋葉神社祭礼の動画で、見事な大技が披露されています。




ところがこの鳥毛、漢字一文字で書くと(パソコンではこの字が出なくてもうしわけないですが)「敞」の下に「毛」と書いて、なんと「しょう」と読むんです。当然、かねの「鉦」も「しょう」と読みます。

するとおもしろいことに
鉦の楽→「敞の下に毛」の楽→鳥毛の楽
→とりげーがく→とーけーがく→闘鶏楽→とーけーらく

見事に音便化して連想ゲームがつながると同時に、闘鶏楽を鳥芸とも言う理由までもが説明できるというわけです。
闘鶏楽に「大鳥毛」「小鳥毛」という曲目があるのも納得がいくのではないでしょうか?
ちなみに上の鳥毛の写真は「大鳥毛」。下の写真が「小鳥毛」というものです。
大きいか小さいかというだけですが、伝統芸能では重い大鳥毛で大技が出されています。







あまり研究がされていない闘鶏楽についての一考察をしてみました。
鉦の音=鶏の声という説も捨てがたいのですが、みなさんはどう思われますか??




  

おまつり報告

連休はいろいろな神社でお祭りがありました。
2日は水無神社、3日は護國神社、4日は総社、5日は空町・下岡本・総社と祭り続きだったので、更新が遅くなりました。



5月3日は天候不安定の中でしたが、午後は天気になりました。
おかげで闘鶏楽・獅子舞も無事奉納していただきました。


三福神社の闘鶏楽です。





今年は太鼓橋から神門をくぐり、「宮入り」からやっていただきました。









赤保木町熊野神社の獅子舞です。

「多少の雨になってもぜひやらせてほしい」という
若連中の篤い志が神様に通じたのでしょう。
好天候での獅子舞奉納になりました。









写真はありませんが、
櫻山八幡宮の采女ちゃんによる「浦安の舞」も
とても上手に舞えていました。


ご奉仕いただいた方々ありがとうございました。






5日は、護國神社も氏子になっている錦山神社の例大祭でした。
立夏らしく暑い日になりましたが、神輿渡御の供奉(ぐぶ)奉仕の方々は大変だったろうと思います。

錦山神社は、護國神社が御旅所になっています。
拝殿正面に神輿がとどまり、祭典はもちろん獅子や鉦が奉納されます。







錦山神社の闘鶏楽は、子供です。頭に鳥毛をつけます。
闘鶏楽についての話はまた後日説明しますね。








  

いよいよ満開に



今日は暖かい日になったので、桜が一気に満開となりました。

午後から、近所の長寿会さんの花見が社務所で行われましたが、
調度良い日和になったのではないでしょうか?

城山公園に向かう人達も大勢境内を通っていかれました。



今週いっぱい桜を堪能できそうです。
5月の例祭までもってくれればいいのですが・・・  

桜咲き始めました

今日は雨ですが、今朝桜が咲き始めました。
護國神社は高低差があるので、今日は一番下の堀周辺が咲いています。
鳥居から中はまだ咲いていません。






















さて、今日は靖国神社の春季例大祭当日祭です。
東京の天気はいかがでしょうか?

  

桜情報

初めて携帯から投稿します。うまくいくかな?


境内の桜はまだつぼみですが、だいぶピンク色になってきました。













天気が心配ですが、この調子ですとあと二三日で、咲き始めるかもしれません。

護国神社の桜情報はラジオ『ヒッツFM』と高山市観光情報ホームページでも確認できます。